プチ史跡案内シリーズ ~雨間御屋敷山~
やっと始めます第一回です。
初回から地元住民でも知っている人がほとんどいないような場所を出すはどうかと思ったのですが、情報が少ないということはすぐに書きあがるということでご容赦ください笑
タイトルにもあるように記念すべき第一回は「雨間御屋敷山」なる史跡を紹介します。
紹介といっても文献もウェブの情報もほとんどないため調べることのできた情報の紹介となります。m(__)m
さて、まず初めに所在地になりますが「東京都あきる野市雨間」です。
付近には都の天然記念物である「カゴノキ」が有名な地蔵院、南秋留小学校、よつぎ第一保育園などがあります。
こんなところです。
地図上のナンバーはこの後出てくる画像たちの撮影場所です👍
土地の基本情報としましては、都道176号線は画像下の秋川方面から上に向かって緩い上り坂で、向かって左側の屋敷があったと思われる地帯が屋敷山の名の通り?台地です
向かって右側がすぐ斜面で秋川と同レベルの地帯が続くといった感じです
グーグルマップによって史跡認定されていなければ素通りしてしまいそうです。
そんな雨間御屋敷山の詳細なのですが、どこを調べても有力な情報はありませんでした笑
発掘調査をしたレポートが「奈良文化財研究所」にあるそうなのですが、さすがに無理です、、、
城郭図鑑にも掲載されてはいましたが
「雨間御屋敷山は土豪の屋敷と思われるが歴史は不明とされている。戦国時代には北条氏に仕えた石川氏の領地であり、甲斐武田氏の遺臣である丸山氏が雨間に土着しているが、雨間御屋敷山との関係はわからない」
詳細は不明とのことです
リンクはこちら
この史跡の谷、下のほうへといける歩道があるんです👍
都道から少し入った先に細い下り道が出現します。そこを下っていくと下へ降りることができます
このように整備された登山道のような道が200メートルほど続きます。そして、最後は屋敷があったと思われる台地の住宅街へと出ます
降りれるといっても石垣や城郭のようなものを見ることはできずに立派な竹林がそびえたつばかりです笑
ちなみに、谷間には小川が流れていて、雨の後などは水が流れていることもあるそうです。
最終的には水無川のような感じ(もともと水はない)になり住宅街へと消えていきます。
さて、実際に調べ、現地へ行って得られた確かな情報はここまでです。
以上!
って終わるのはさすがに悲しいので少し書き足してみます!
そして、ここから先は完全に個人的な目線になりますので参考程度に
ウェブ上の情報が乏しく、文献は奈良へ行かないと手に入らないような「雨間御屋敷山」ですが、勝手な考察を進めていこうかと思います。
まず、昔の様子を知るのに使うべきは国土地理院地図です。
こちらは1970年代、まだこの付近の開発が進められていなかった頃の航空写真です。
中央の縦線が都道176号線で、その左側に集まっている住宅地付近に屋敷はあったものと考えられますね
ここで気になるのがその住宅地の道路です。はじめに書きました通り、都道を挟んで左側の屋敷跡は屋敷山といわれるだけあって台地上に位置しています。その台地上を都道の秋川付近から左上にかけて伸びている道路、やけにかくかくしていますね
まるで宿場町の道のようです
このかくかくした道路、このように囲ってみると区画のようになってきました
この枠内に屋敷があったのかもしれません!
行ってみました!
それっぽいの見つけました!!!
といいたいところですが、戦国時代の武田氏の遺臣が暮らした説が有力である屋敷と考えると少し新しすぎる気がします笑
ただ、初めに掲載した画像の谷まではいきませんがかなり広く、他にもところどころ修復などされているもののこういった蔵のような建物がいくつか存在していました!
多分他人の家の敷地ですので写真を撮りまくるのはどうかと思いこの写真だけにしました笑
あきる野市は(西多摩地域全般?)地域ごとに有力者だった家の名字の人が多い傾向にありますからっ子の家の表札を見てみてもよかったかもしれませんね!
そこから新たにわかることがあるかもしれません👍
あまり有名なところをやると地元を紹介する意味があまりないかなと思いう初回は思い切ってみましたが、思い切り過ぎました笑
いくら何でも情報が少なすぎます、、、
ただ、このような「確かに何かがあった跡」というのを、昔の情景を想像しながら歩くのもいいものだと感じました
お時間のある時にぜひ訪れてみてください!何かあればコメントください!適宜加筆していく予定です!
次は情報のたっぷりありそうな清水遺跡をテーマにして基盤を作っていきたいです👍
ある程度紹介した場所がたまればモデルお散歩コースなども作ってみようかなと思います!
あきる野市の公式案内をめぐってみるのもありかなと思っています!
来週前半には第2回出したいです
ありがとうございました